貴布禰神社
弘仁九年より吉田井上に鎮座する古社 参拝をする方をお見守りしてくれる神様です
御祭神 | 高龗神(たかおかみのかみ) |
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例祭 | 春の例大祭 毎年4月3日 秋の例大祭 毎年10月第一日曜日 御朱印所は上記例大祭にて開設 |
御祈祷 | 参拝のみ |
アクセス
御朱印
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御由緒
穂積君が水の神として祀り始めた社、祭神は高龗神
当社の創建については、社記に次のように語られている。
昔、櫛玉速日尊の御子、可美真智の子孫である穂積丞稲負君は、知知夫国造と同じく当国へ来て勧業殖民に務めた。天照大神と熊野大神を奉斎し、神の心に叶い順調であった穂積君の開墾事業ではあったが、ついにその危機が訪れた。時に弘仁九年、大干ばつが起こり水は涸れ地は乾き稲はことごとく萎えてしまった。これを見た穂積君は深く憂い、斎戒沐浴の後、二人の子どもとともに熊野大神の社に請い、高龗神を勧請して号泣して降雨を祈り村民もこれに従って神の助けを請うた。その祈りが神に通じ、慈雨大いに降り水陸共に元に復した。更に、雨が止んだかと思うと数か所から清泉が噴出し、田に水を満たしたのでその年の秋には豊かな収穫があった。歓喜した人々は、この泉を神井と称え、これにちなんで村の名も井上と改めたのであった。その後、この近辺の諸村を総称して宜田郷と呼んだ。今の「吉田」という呼称はここから起こったものと言われている。
その後も当社は度々神威を顕し、水の神として篤く信仰されるに至った。殊に正暦二年の大干ばつを救った時は、遠近の諸人が競って財貨を寄進したと伝え、この時京都の貴布禰大神を分祀して以来、貴布禰大明神(貴船大明神とも記す)と称した。下って、明治六年には下吉田村の村社となった。
貴布禰神社 外観
貴布禰神社 外観
貴布禰神社 外観
貴布禰神社 神楽
貴布禰神社 神楽
貴布禰神社 神楽
貴布禰神社 神楽