西尾城
西尾市歴史公園は、西尾のシンボル「西尾城」の一部を復元し、新たな歴史文化の発信地としたものです。
主な城主 | 吉良氏(きらし)、本多康俊、松平氏、本多氏、太田氏、井伊氏、増山氏、土井氏、三浦氏、大給松平氏(おぎゅうまつだいらし) |
---|
アクセス
住所 | 愛知県西尾市錦城町231番地1 |
---|---|
交通 | ●名鉄西尾駅から徒歩15分 ●六万石くるりんバス平坂中畑線または寺津矢田線で4分、「歴史公園北」下車、徒歩2分 |
問合せ |
0563-54-6758(旧近衛邸) 9:00~18:00(10月~3月は~17:00) |
御城印
頂きたい御城印の画像を押して、決済方法を選択し御城印料をお納め下さい。
※注意事項
下記は西尾市公式ホームページ内「西尾市歴史公園」ページより引用記載しています。
●開館時間
・本丸丑寅櫓の内部公開
午前9時30分から午後4時
※二之丸丑寅櫓は内部に入ることができません。
●休園日
・月曜日(祝日・休日にあたる場合は開館します)
・12月29日から翌年1月3日
西尾城の歴史
西尾城の歴史は古く、承久の乱(1221年)の戦功により三河国守護に任じられた足利義氏(あしかがよしうじ)が築城した、西条城(さいじょうじょう)が始まりと「西尾城郭覚書」写真1伝えられています。
足利氏は吉良氏(きらし)と名を改め、この吉良荘を統治しますが、群雄割拠の戦国時代には、城主が牧野成定、酒井正親、田中吉政と入れ代わり、これに従って城域も拡大しました。天正13年(1585)、家康の命により「三河の人夫を挙げて」城が築かれ(『三川物語』『家忠日記』)、これが近世の西尾城の基礎となりました。さらに田中氏の頃に三の丸が造営され、城郭が確定されました。
慶長6年(1601)に本多康俊が西尾二万石の藩主として入城し、その後も松平氏、本多氏、太田氏、井伊氏、増山氏、土井氏、三浦氏と、城主は譜代大名の間で次々と代わりました。六万石の西尾藩となったのは、明和元年(1764)に山形藩から大給松平氏(おぎゅうまつだいらし)が入城してのことです。松平氏は代々老中などの幕府の要職を務め、以来、廃藩となるまで5代続きますが、明治維新を迎えると城は天守閣を始め、ほとんどが取り壊されました。