犬田神社【米子豊福神巡り】
米子豊福神巡り 2番目の神社でございます。
| 御祭神 | ・大己貴命(おおなむちのみこと) ・国常立尊(くにのとこたちのみこと) ・天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと) ・国狭槌尊(くにのさつちのみこと) ・伊弉冉尊(いざなみのみこと) ・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと) ・惶根尊(かしこねのみこと) ・天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと) ・建御名方命(たけみなかたのみこと) ・猿田彦命(さるたひこのみこと) ・高皇産霊尊(たかみむすびのみこと) ・下照姫命(したてるひめのみこと) ・瀛津姫命(おきつひめのみこと) ・牛尊(うしのみこと) ・彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと) ・悪王子(あくおうじ) ・蹈韛姫命(たたらひめのみこと) ・素盞嗚尊(すさのおのみこと) ・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう) ・奥津彦命(おくつひこのみこと) ・奥津姫命(おくつひめのみこと) ・木花咲屋姫命(このはなさくやひめのみこと) ・武内宿祢命(たけのうちのすくねのみこと) ・道真公(みちざねこう) ・稲背脛命(いなせはぎのみこと) |
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| 例祭 | 10月19日 |
アクセス
御朱印
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由来
創立年代不詳。古くより山王大明神と称する。以前は64石8斗9升の社領があったと伝わる。当時、神饌供物を洗った井戸として、御水井戸、洗度井戸、研井戸の3ヶ所があり、今も残る。その後、社領は減少し、慶長6年(1601)、中村伯耆守より神主居屋敷の手作分として3石を附され、慶長16年(1611)米子城主の加藤氏、および元和4年(1618)藩主の池田氏よりも中村氏と同じく取り扱われ、寛文7年(1667)、社領1石8斗9升9合を寄進されている。明治初年に地名(犬田庄奥陰田村)にちなんで犬田神社と改称した。この時、村内の摂社衣那荒神(木花咲屋姫命)、高良社(武内宿祢命)、天満天神(道真公)と鷺大明神(稲背脛命)合祀をした。



