天鼓山 昭蓮寺
尾張地方に伝わる、一木で四体の日蓮聖人を彫り出した、通称、尾張四高祖を安置する霊場です。
尾張四高祖安置の霊場
御本尊 | 久遠実成本師釈迦牟尼仏十界大曼荼羅 |
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創建 | 寛文年中 |
開基 | 了道法師 |
御詠歌 | 雲晴れて 妙なる種をまき散らし 法の花咲く 春ぞ 楽しき (妙戒院日行法尼) |
ご利益Profit | どの様な困難にも 耐え忍ぶ事が出来る 精神を得られる功徳 |
アクセス
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由来
当山は初め番神堂、次に祖師堂といいました。今を去る350年前、人皇112代、霊元天皇の御世、寛文年中に、勝山武兵衛というお方が「三十番神」を祭ったのが始りといわれております。
古書には「三十番神之社ハ。法花屋布之内也。寛文年中二。勝山氏之武兵衛ト云者。本村従ヨリ。初メテ東ノ野ニ移ル。此ノ者日蓮之教ヲ信而社造リ。番神像ヲ安置ス。其後人多ク随而。遂ニ一里ト為ル之移ル。是レ法花屋布也。延享年中ニ。番神堂の社内ニ。艸堂ヲ建ル也。」とあります。
但今、本堂の前にある石燈籠は、延享2年(1745)艸堂建立の時に立てたもので、今より268年前の事であります。
延享2年10月25日、寺社奉行の高橋喜正氏の指令を得て、「番神堂」と公称しました。
村人には番神宮と呼ばれ、五明村の神人間宮権太夫なる人が祭典を行っておりました。後に佛道に改まり、その檀徒の信仰は篤く、村の氏神の如く崇拝されました。
爾来、40余年の星霜を経て、天明4年(1784)に、堂宇が風雨のため大破。その後再建され100有余年がたった頃、時代は明治に移り、百物の革まる時、廃仏毀釈による神仏混交はしては成らないとの政府の趣意により、「祖師堂」と称するようになりました。
明治24年、濃尾大震災により三十番神のお堂が倒壊しましたが、番神像は一体も、紛失も毀損もされなかった事は誠に不思議なことでありました。其の後明治42年に今のお堂が完成し、昭和17年3月31日に「昭蓮寺」と改め今に至っております。