七寺に行ってきました

真言宗しんごんしゅう智山ちさん稲園山とうえんざん七寺ななつでらに行ってきました。
七寺_石柱 七寺_案内看板

七寺ななつでらの正式名は稲園山とうえんざん正覚院しょうかくいん長福寺ちょうふくじといい、宗派しゅうは真言宗しんごんしゅうです。
七寺ななつでら呼称こしょうは787年に紀是広きのこれひろによって七堂しちどう伽藍がらん建立こんりゅうされたところから来ているそうです。

創建そうけんは奈良時代の735年、開基かいき行基ぎょうき菩薩ぼさつと伝わっているとのこと。
当初は現在の愛知県あま市に建立こんりゅうされましたが、887年の水難すいなんや941年の兵火へいかによって荒廃こうはい荒廃こうはいしてから200年ほどった1167年に愛知県稲沢いなざわに移転。後述しますがこの稲沢いなざわ時代に一切経いっさいきょう書写しょしゃが行われたそうです。
その後、1591年には豊臣秀吉のめいにより清州きよす(愛知県清須市)へ。
更に1611年には徳川家康のめいによって現在の地、名古屋市中区へ移されました。
激動げきどうの時代を乗り越え、江戸時代には再度さいど七堂しちどう伽藍がらんが整い、8000坪の広大な寺域じいきに池や茶店(料理屋)、芝居小屋などが建ち並んでいたそうです。
明治、大正の時代に寺域じいきが狭くなり、残念なことに1945年の空襲くうしゅう(昭和20年・終戦の半年前)により経蔵きょうぞう以外の全ての建物が焼失しょうしつしてしまいました。

お寺の見どころは本堂ほんどう内にある平安時代の2体の仏像、観音かんのん菩薩像ぼさつぞう勢至せいし菩薩像ぼさつぞうです。
拝観料はいかんりょう500円で本堂ほんどう内を拝観はいかんできます。
本堂ほんどうに入るとまず目に入るのは護摩ごまだん。やはり真言宗しんごんしゅうと言えばこれですよね。
その護摩ごまだんの正面に観音かんのん菩薩像ぼさつぞう勢至せいし菩薩像ぼさつぞうがいらっしゃいました。
すぐ近くまで寄ってみることができます。
正しい表現かはわかりませんが、とてもいやされました。
私は仏像も好きなんだな~、と再認識した瞬間でした。

戦前は阿弥陀あみだ如来像にょらいぞう観音かんのん菩薩像ぼさつぞう勢至せいし菩薩像ぼさつぞう持国天じこくてんぞう多聞天たもんてんぞうの5体の仏像があったそうですが、現在は観音かんのん菩薩像ぼさつぞう勢至せいし菩薩像ぼさつぞうの2体のみ。
戦火せんかの中、観音かんのん菩薩像ぼさつぞう勢至せいし菩薩像ぼさつぞうの2体と勢至せいし菩薩像ぼさつぞう光背こうはいを2名のお坊さんで何とか避難させたとのこと。
観音様と勢至様は座像ざぞうですが、台座だいざがあるとはいえ結構見上げる高さがありました。
阿弥陀あみだ如来像にょらいぞうはそれより大きかったとのことで、とても2名では持ち出せる大きさではなかったようです。
戦火せんかの中ですので身の危険や時間的な問題もあるでしょうし、2体の避難だけでも大変だったと思います。
住職じゅうしょくいわく「疎開そかいという考えもありますが、お寺としては仏さまを持ち出すことはできない(禁止事項)。」とのことです。
文化財保護という点では疎開そかいなんでしょうが、いかんともしがたいですね・・・

でも本音を言うと戦前の状態を見たかったです。三重塔もあったみたいですし。
ただ、そう言うといつも息子に怒られます。
「振り返るな前を向け。無くなったことより2体も残していただいたことに感謝しろ」と。確かにその通りですよね。
身の危険をかえりみず仏像を運んだお坊さんや、お寺が荒廃こうはいした時代に仏像を守っていた人々に感謝です。

もう一つ、個人的には一切経いっさいきょうも気になります(一切経いっさいきょうは一部が本堂ほんどう内に展示してあるので見ることができます)。
結果的に経蔵きょうぞう戦火せんかまぬがれましたが、おさめられていた一切経いっさいきょう戦火せんかまぬがれるために猿投さなげ灰寶はいほう神社に疎開そかいしていたそうです。
現在お寺にあるものと博物館に貸し出しているものを合わせると、31の唐櫃からびつに4954巻の経典きょうてんが残っているとのこと。
これは日本で5番目に古い一切経いっさいきょうで、1175年~1178年に書き写されたものだとか。
余談よだんですが私は学生時代に一切経いっさいきょうを学ぶ機会があり、図像ずぞうという絵が描かれた部分ばかり見ていました。
期待してお尋ねしたところ、七寺ななつでら一切経いっさいきょうはおきょうが主で図の部分は少ないそうです。残念・・・
しかしそこで話は終わらず、「この一切経いっさいきょうは、偽経ぎきょうが収められた大変めずらしいもの」と教えていただきました。

偽経ぎきょう」って?
一気に興味が沸きます。
・おきょうというのはお釈迦しゃかさまのかれた教えをお釈迦しゃかさまの弟子達が編纂へんさんしたもの。
 →お釈迦しゃか様がいたものなので真経しんきょうという。
・中国や日本に仏教が伝来でんらいした際、儒教じゅきょう道教どうきょう神道しんとうの話を仏教的に解釈かいしゃくして作った布教用ふきょうようのおきょうなど。
 →お釈迦しゃか様のかれた教えではないので偽物にせもののおきょう偽経ぎきょう)。
知りませんでした。勉強になりました。

さて御朱印ですが、筆書き、スマート御朱印ともに正面入口から入って真正面にある白い建物でいただけます。
白い建物から左を向くと本堂ほんどうがありますので、お参りしてから御朱印をいただきましょう。
お参り方法ですが、真言宗しんごんしゅうのお寺は必ず弘法こうぼう大師だいし空海くうかいがおまつりされているので
南無なむ大師だいし遍照へんじょう金剛こんごう
とおとなえすればいいそうです。
七寺_本堂遠景 七寺_御朱印受領場所

真言しんごんをおとなえする場合は、
「オン アロリキヤ ソワカ」(観音菩薩)
「オン サンザン ザンサク ソワカ」(勢至菩薩)
「オン アミリタテイ ゼイカラ ウン」(阿弥陀如来)
 ※阿弥陀如来像は焼失していますが、お寺の登記上のご本尊ほんぞん様は阿弥陀様とのことです。
せっかくですので教えていただいた全てをお唱えいたしました。

今回お話をうかがって、戦時中の仏像疎開について「仏さまを持ち出すことはできない」というお話が印象に残りました。
お寺の事情も知らず「避難させていれば今見れたのにな」なんて思っていたので反省です。

護摩ごま祈祷きとうもあるとのことで、また訪れてみたいと思います。
(護摩祈祷)
・毎月18日、午後2時~
・毎月28日、朝
※護摩木 1本300円

貴重なお時間を割いていただいたご住職に感謝です。ありがとうございました。

(訪問日:2020/6/20、訪問者:I)

☆「稲園山 七寺」の詳細・スマート御朱印受領はこのリンク先をご覧下さい。